社会保険

年金を繰り下げても在職停止分は増えない。一人社長の繰下げ判断

65歳以降も役員報酬を受ける一人社長が老齢厚生年金を繰り下げると、在職老齢年金で止まる分は増額の対象になりません。役員報酬月54万円なら基本月額12万円まで影響はなく、月90万円では増額が半分に。それでも損益分岐が81.9歳で変わらない理由まで計算しました。

年金を受け取らずに繰り下げれば、在職老齢年金で止まる分もあとで増えて戻ってくる。そう考えている人がいますが、止まるはずだった分は増額の対象になりません。日本年金機構の老齢年金ガイドにそう明記されています。

65歳を過ぎても自分の法人から役員報酬を受ける一人社長にとって、これは繰下げの判断に直結します。ただ計算してみると、影響が出るのは役員報酬と年金額の組み合わせが限られた場合です。そして影響が出ても、繰下げの損益分岐の年齢は動きません。

繰下げの増額は「止まらなかった分」にしか付かない

老齢年金は、65歳で受け取らずに66歳から75歳までの間で繰り下げると増額されます。増額率は「0.7%×65歳に達した月から繰下げ申出月の前月までの月数」で、75歳まで繰り下げると最大84%です(昭和27年4月2日以後生まれの場合)。老齢基礎年金と老齢厚生年金は別々に繰り下げられます。

老齢厚生年金の増額(繰下げ加算額)は、原則として65歳時点の老齢厚生年金額を基準に計算します。ここで在職老齢年金が関わります。

  • 繰下げ待機期間中の給付のうち、在職老齢年金制度で支給停止される額に相当する部分は、繰下げ加算額の計算に含まれない
  • 具体的には、増額に平均支給率を掛ける。平均支給率=月単位の支給率の合計÷繰下げ待機期間の月数
  • 月単位の支給率=1−(在職支給停止額÷65歳時の老齢厚生年金額)

在職支給停止額は、令和8年度は「(基本月額+総報酬月額相当額−65万円)÷2」です。基本月額は加給年金額を除いた老齢厚生年金(報酬比例部分)の月額、総報酬月額相当額は賞与がなければ厚生年金の標準報酬月額です。基準の65万円は令和8年4月に51万円から引き上げられました。

つまり、繰り下げても止まる分は取り戻せません。受け取っていれば止まっていた分は、繰り下げても増えずに消えます。繰下げは在職停止を避ける手段にはならないということです。

一方で、同じガイドは「老齢基礎年金および繰下げ加算額は、全額支給となります」としています。繰り下げて増えた加算額そのものは、その後も役員報酬を受け取り続けていても止まりません。この性質が、後で出てくる損益分岐の話に効いてきます。

なお、加給年金額や振替加算額は増額の対象外です。繰下げ待機期間中は加給年金額や振替加算を受け取ることもできません。

役員報酬月54万円なら、基本月額12万円まで増額は満額

基本月額と役員報酬の組み合わせ別に、支給率と70歳・75歳まで繰り下げたときの加算額を出しました。月54万円は、当サイトの判定ツールが65歳以上の条件で事業所得800万〜1,500万円の帯に出す最適な役員報酬です。月90万円は事業所得1,800万円での最適額です。

基本月額(老齢厚生年金の年額)役員報酬在職支給停止額(月)支給率70歳まで繰下げた加算額(年)75歳まで繰下げた加算額(年)止まらなかった場合の70歳加算額(年)
5万円(60万円)月54万円0円100.0%252,000円504,000円252,000円
5万円(60万円)月90万円25,000円50.0%126,000円252,000円252,000円
10万円(120万円)月54万円0円100.0%504,000円1,008,000円504,000円
10万円(120万円)月90万円50,000円50.0%252,000円504,000円504,000円
12万円(144万円)月54万円0円100.0%604,800円1,209,600円604,800円
12万円(144万円)月90万円60,000円50.0%302,400円604,800円604,800円
15万円(180万円)月54万円15,000円90.0%680,400円1,360,800円756,000円
15万円(180万円)月90万円75,000円50.0%378,000円756,000円756,000円
20万円(240万円)月54万円40,000円80.0%806,400円1,612,800円1,008,000円
20万円(240万円)月90万円100,000円50.0%504,000円1,008,000円1,008,000円

※ 賞与なし・待機期間中の役員報酬と基本月額は一定・支給停止調整額は令和8年度の65万円で固定。役員報酬月28万円・月42万円では、基本月額20万円までどの組み合わせも支給率100%/2026年(令和8年)分基準

月54万円の標準報酬月額は53万円です。基本月額12万円までなら合計が65万円に収まるので、在職停止はかからず、繰下げの増額は満額付きます。判定ツールの最適報酬のまま繰り下げても、多くの人は影響を受けません。

影響が大きいのは月90万円の行です。基本月額がいくらでも、支給率は50%で揃っています。厚生年金の標準報酬月額の上限と支給停止調整額がどちらも65万円なので、報酬月額63万5,000円以上では止まる額が基本月額のちょうど半分になるためです(この頭打ちの仕組みは在職老齢年金の基準が65万円へで扱っています)。

その結果、月90万円で75歳まで繰り下げた加算額は、止まらない人が70歳まで繰り下げた加算額と同じになります。5年余分に待って、ようやく同じ増え方です。

逆に言えば、賞与を出さない限り支給率は50%を下回りません。役員報酬をいくら上げても、繰下げの増額が消えてなくなることはありません。

それでも損益分岐は81.9歳で変わらない

繰下げを選ぶかどうかは、「待っている間に受け取らなかった額」を「増えた分」でいつ取り返せるかで考えるのが普通です。70歳まで繰り下げた場合で計算します。

基本月額役員報酬支給率65〜70歳に受け取らない額(累計)70歳からの加算額(年)累計で追いつく年齢
10万円月54万円100.0%600.0万円50.4万円81.9歳
10万円月90万円50.0%300.0万円25.2万円81.9歳
15万円月54万円90.0%810.0万円68.0万円81.9歳
15万円月90万円50.0%450.0万円37.8万円81.9歳
20万円月54万円80.0%960.0万円80.6万円81.9歳
20万円月90万円50.0%600.0万円50.4万円81.9歳
止まらない場合100.0%基本月額×60月基本月額×12×42%81.9歳

※ 70歳以降も同じ役員報酬で働き続けるものとし、基本月額への在職停止は65歳から受け取る場合と繰り下げる場合で同じようにかかるとした。繰下げ加算額は全額支給(老齢年金ガイド)。年金額の改定は見込まない

どの行も81.9歳です。 在職停止があると、待っている間に受け取らなかった額は小さくなります。ところが、65歳から受け取っていても止まっていた分なので、そもそも失ったものではありません。増える額も同じ支給率で縮むので、比率は変わりません。

在職停止は、繰下げで増える金額の大きさを小さくします。しかし繰下げが割に合うかどうかの年齢は変えません。繰下げの判断そのものは、在職停止がない人と同じ物差しで考えてよいということです。

ただし、この計算は役員報酬と基本月額が待機期間中ずっと一定という前提です。途中で退任して在職停止がなくなる場合は、退任までの月だけ支給率が下がり、その平均で増額が決まります。

ずっと個人事業主だった人は、老齢基礎年金の繰下げだけ考えればいい

在職老齢年金で止まるのは、老齢厚生年金の報酬比例部分だけです。学校を出てからずっと個人事業主で、65歳を過ぎて法人化した人には、65歳時点の老齢厚生年金がそもそもありません。この場合、繰下げで検討するのは老齢基礎年金だけです。

老齢基礎年金は在職老齢年金の対象外なので、役員報酬がいくらでも増額率がそのまま効きます。令和8年度の満額847,300円を繰り下げた場合の増額は次のとおりです。

繰り下げた年齢増額率増額(年)
70歳42%355,866円
75歳84%711,732円

※ 老齢基礎年金(昭和31年4月2日以後生まれ)の満額847,300円に増額率を掛けた額。年金額の改定は見込まない

会社員の期間があってから独立した人は、老齢基礎年金と老齢厚生年金を別々に考えることになります。基礎年金は在職停止と無関係に繰り下げ、厚生年金は上の表で支給率を確かめる、という分け方ができます。

もう1つ注意したいのは、繰下げ加算額の土台が原則として65歳時点の老齢厚生年金額だという点です。65歳以降も役員として厚生年金に加入し続けると保険料を払い、報酬比例部分は積み上がります。ただしその分は、65歳時点の額を基準にした繰下げ加算額の土台の外にあります。法人化して厚生年金がどれだけ増えるかは法人化で厚生年金は年69万円増えるで計算しています。

70歳を過ぎてからの「さかのぼり」と、保険料・税への波及

繰り下げるつもりで待っていても、途中で気が変わることはあります。繰下げ待機期間中は、繰下げの請求をするか、65歳からの本来の年金をさかのぼって受け取るかを、いつでも選べます。

令和5年4月からは、70歳に達した後に本来の年金をさかのぼって受け取ることを選んでも、請求の5年前の日に繰下げ申出をしたものとみなされます。増額された年金の5年分を一括で受け取れる「特例的な繰下げみなし増額制度」です。対象は昭和27年4月2日以降に生まれた人などで、80歳以降の請求や、請求の5年前の日以前から障害年金・遺族年金を受け取る権利がある場合は適用されません。

老齢年金ガイドは、過去分の年金を一括で受け取ると、さかのぼって医療保険・介護保険の自己負担や保険料、税金に影響する場合があるとしています。65歳以上の介護保険料は本人の所得で段階が決まるので、年金の所得が一度に増えれば段階も動きえます(65歳以降の介護保険料は、一人社長だと段階が3つ下がる)。

当サイトの判定ツールは、年金の受給・停止・繰下げを計算に入れていません。出てくるのは役員報酬と法人の税金で決まる単年の手取りです。計算の前提は計算の考え方にまとめています。まず65歳以上の条件で自分の売上と経費を入れて最適な役員報酬を確かめ、その報酬で上の表の支給率を当てはめてみてください。

まとめ

  • 繰下げ待機中に在職老齢年金で止まるはずだった分は、繰下げ加算額の計算に含まれない。増額には平均支給率を掛ける。繰下げは在職停止を避ける手段にならない
  • 役員報酬月54万円(標準報酬月額53万円)なら、基本月額12万円まで支給率100%で増額は満額。月90万円では基本月額にかかわらず支給率50%になる
  • 月90万円で75歳まで繰り下げた加算額は、止まらない人が70歳まで繰り下げた加算額と同じ
  • 在職停止があっても、70歳繰下げの損益分岐は81.9歳で変わらない。繰下げ加算額は全額支給で、失う額と増える額が同じ支給率で縮むため
  • 老齢基礎年金は在職停止の対象外。ずっと個人事業主だった人は、基礎年金の繰下げ(70歳で年355,866円増)だけを考えればよい

よくある質問

老齢基礎年金だけを繰り下げることはできますか?

できます。日本年金機構は、老齢基礎年金と老齢厚生年金は別々に繰り下げることができるとしています。老齢基礎年金は在職老齢年金による支給停止の対象外なので、役員報酬の額にかかわらず増額率がそのまま効きます。

繰下げ待機中に役員報酬を変えると、増額はどう計算されますか?

平均支給率は「月単位の支給率の合計÷繰下げ待機期間の月数」で計算します。支給停止額は総報酬月額相当額が変わった月に変わるので、報酬を変えた月から支給率が変わり、待機期間全体の平均で増額が決まります。

75歳を過ぎてから請求すると、増額率はさらに増えますか?

増えません。65歳に達した時点で老齢年金を受け取る権利がある場合、75歳に達した月を過ぎて請求しても増額率は84%のままで、増額された年金は75歳までさかのぼって決定されます。

出典

本記事は2026年(令和8年)分 基準の制度にもとづく一般的な解説であり、税務上の助言ではありません。 制度は毎年改正されます。実際の判断は最新の一次情報を確認のうえ、税理士等の専門家にご相談ください。 内容に誤りを見つけられた場合は お問い合わせ よりご指摘ください。