設立の手続き
法人成りで従業員は自動で移らない。有給・勤続年数・雇用保険の引継ぎ
結論
個人事業主として雇った従業員は、会社を作っても会社に移りません。使用者の地位を会社へ譲るには本人の承諾が要ります(民法625条1項)。有給休暇の勤続年数は在籍期間を実質で判断し、雇用保険は同一事業主と認められれば変更届で済む扱いがあります。月給25万円の従業員1人が社会保険に入ると、法人化の損益分岐点は事業所得1,266万円から1,540万円に上がります。
- 年休の継続勤務は在籍期間をいい、勤務の実態に即して実質的に判断する。定年後の再採用のように形式上いったん退職しても、労働関係が続いていれば通算する(厚生労働省)
- 雇用保険は資格を喪失しても、1年以内に再取得し、その間に基本手当を受けていなければ、算定基礎期間を通算する(雇用保険法22条3項)
- 従業員の給与を経費に足すだけでは損益分岐点は動かない。動かすのは、法人だけにかかる健康保険・厚生年金の会社負担
法人成りの手続きは、会社の登記と税務署の届出に目が行きがちです。従業員がいる個人事業では、もう1つ、雇用主が個人から会社に変わるという手続きが加わります。
この切り替えで、従業員の側に影響が出るのは3つです。雇用契約そのもの、年次有給休暇の勤続年数、雇用保険の被保険者期間です。事業主の側では、従業員の健康保険・厚生年金の会社負担が新しく乗ることがあり、法人化の損益分岐点が動きます。順に、一次情報と計算エンジンで確かめます。
雇用契約は会社に移らない。本人の承諾が要る
民法625条1項は、使用者は労働者の承諾を得なければ、その権利を第三者に譲り渡せないと定めています。働く人にとって、誰の指揮のもとで働くかは契約の中身そのものだからです。
法人成りで会社に従業員を移す方法は、大きく2つです。
| 方法 | やること | 注意点 |
|---|---|---|
| 使用者の地位を会社へ移す | 個人・会社・従業員の三者で合意する | 従業員の承諾が要る(民法625条1項) |
| 個人で退職し、会社が雇う | 個人の雇用を合意で終え、会社と新しく契約する | 会社は契約の締結時に労働条件を明示する(労働基準法15条1項) |
どちらでも、従業員の同意が出発点になります。取引先との契約を移す話は法人成りで取引先との契約は移らないで扱いました。雇用契約はその中でも、相手の承諾が条文で直接求められている契約です。
従業員が会社への移籍を断った場合、その人の雇用主は個人事業主のままです。個人事業を終えるなら、合意による退職か解雇になります。解雇なら、少なくとも30日前の予告か、30日分以上の平均賃金の支払いが要ります(労働基準法20条)。
有給休暇の勤続年数は「在籍期間」を実質で判断する
労働基準法39条の有給休暇は、雇入れから6か月継続勤務し、8割以上出勤すると10日付与されます。その後は継続勤務年数に応じて増えます。
| 継続勤務年数 | 6か月 | 1年6か月 | 2年6か月 | 3年6か月 | 4年6か月 | 5年6か月 | 6年6か月以上 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 付与日数 | 10日 | 11日 | 12日 | 14日 | 16日 | 18日 | 20日 |
※ 通常の労働者(週30時間以上など)の付与日数。厚生労働省「スタートアップ労働条件」による
問題は、雇用主が個人から会社に変わったとき、この「継続勤務」が続くかどうかです。厚生労働省は、継続勤務とは在籍期間をいい、勤務の実態に即して実質的に判断するとしています。そのうえで、実質的に労働関係が続いていれば勤続年数を通算する例として、次を挙げています。
- 定年退職者を引き続き嘱託などとして再採用した場合
- 臨時工・パートなどを正社員に切り替えた場合
- 在籍型の出向・休職後の復職
- 合併などで新会社に包括承継された場合
法人成りそのものは、この例示にありません。ただし判断の軸は形式ではなく実態です。同じ職場で同じ仕事を続け、雇用主の名義だけが個人から会社に変わる法人成りは、例示の「合併で新会社に包括承継」や「いったん退職して再採用」と構造が近い場面です。会社で新規採用の扱いにして勤続年数をゼロに戻すと、この考え方と食い違う可能性があります。
新規採用にすると、何日違うか
勤続4年6か月の従業員なら、継続勤務として扱えば次の付与は16日です。新規採用として扱うと、会社に入って6か月は付与がなく、6か月後に10日です。
未消化の日数もあります。年休の請求権は2年で時効になります(労働基準法115条、厚生労働省モデル就業規則)。前年分の残りがある従業員を新規採用として扱えば、その残りも消えます。
付与の基準日が続けば、年10日以上付与される人に年5日を取らせる義務も、同じ基準日で続きます。義務の始まる時期と管理簿は有給5日の時季指定で整理しています。
退職金の勤続年数は、会社の計算方法で決まる
退職金を払う場合、税金の退職所得控除に使う勤続年数にも同じ論点があります。所得税法施行令69条1項1号ロは、支払者が他の者の下で勤務した期間を含めて退職金を計算するなら、その期間を勤続期間に加算するとしています。会社の退職金規程が個人事業の時代を含めて計算すれば、その分も勤続年数に入ります。
一方、法人成りのときに個人事業主が退職金を打ち切りで払っていれば、同号ハにより、その計算の基礎とされた期間は後の勤続期間に含めません。どちらの形にするかで、従業員の将来の退職所得控除が変わります。
雇用保険は「同一事業主」と認められるかで手続きが分かれる
雇用保険では、事業主が変わると、原則として資格の喪失と取得、事業所の廃止と設置の手続きになります。ただし、新旧の事業に同一性があれば、事業主の変更として扱う運用があります。
愛知労働局のハローワークが公表している一覧では、「個人事業主の法人設立」は雇用保険事業主事業所各種変更届で処理する事例として載っています。原則として、個人事業主と会社の代表者が同一の場合です。添付書類は新旧事業実態証明書(愛知労働局の様式)、被保険者名簿、会社の履歴事項全部証明書です。同一の事業主と確認できない場合は、喪失・取得と廃止・設置の手続きになるとしています。
| 手続き | 期限 | 根拠 |
|---|---|---|
| 事業主事業所各種変更届(同一事業主と認められた場合) | 変更の翌日から10日以内 | 雇用保険法施行規則142条 |
| 適用事業所廃止届(個人側) | 廃止の翌日から10日以内 | 同141条 |
| 適用事業所設置届(会社側) | 設置の翌日から10日以内 | 同141条 |
| 被保険者資格喪失届(個人側) | 翌日から10日以内 | 同7条 |
| 被保険者資格取得届(会社側) | 翌月10日まで | 同6条 |
同一事業主の認定は、合併や事業譲渡と同じく、ハローワークが新旧の事業の実態を見て判断します。神奈川労働局のハローワークも、相続などの場面で「新旧同一認定」を受ければ被保険者の資格を取得したまま事業主名を変えられる場合があるとし、事前の個別相談を求めています。様式や扱いは管轄で異なり得るため、先に管轄のハローワークへ確認するのが確実です。
喪失・取得になっても、被保険者期間は通算される
同一事業主と認められず、いったん資格を喪失しても、従業員の不利益は限られます。雇用保険法22条3項は、前の資格を失った日が新しく資格を取った日の前1年以内にあり、その間に基本手当を受けていなければ、前後の被保険者期間を通算するとしています。
法人成りでは、個人で喪失した翌日に会社で取得するのが通常です。失業給付の所定給付日数を決める算定基礎期間(一般の離職者なら10年未満で90日、10年以上20年未満で120日、20年以上で150日)は、この通算でつながります。
労働保険と社会保険は、会社の側で作り直す
労働保険(労災保険・雇用保険の保険料)は、保険関係が成立した日から10日以内に成立届を出し、50日以内に概算保険料を申告・納付します(労働保険徴収法4条の2・15条)。個人事業の保険関係が消滅したら、消滅の日から50日以内に確定保険料を申告し、概算で払った保険料を精算します(同19条)。愛知労働局の一覧でも、一元適用の事業は、労働基準監督署で労働保険の手続きを済ませた控えを雇用保険の変更届に添えるとしています。
健康保険・厚生年金は、個人事業所がどちらだったかで変わります。
| 個人事業所の状態 | 個人側 | 会社側 |
|---|---|---|
| 適用事業所だった(常時5人以上の適用業種、任意適用) | 適用事業所全喪届(5日以内) | 新規適用届・資格取得届(各5日以内) |
| 適用事業所でなかった(常時5人未満など) | 手続きなし(従業員は国保・国民年金) | 新規適用届・資格取得届(各5日以内)。従業員が初めて加入する |
※ 日本年金機構。法人の事業所は、事業主だけの場合も含めて強制適用
費用の面で効くのは下の行です。個人事業では払っていなかった従業員の健康保険・厚生年金の会社負担が、法人成りした月から乗ります。
給与ではなく、社会保険の会社負担で損益分岐点が上がる
従業員の給与は、個人でも会社でも経費です。判定ツールで経費を200万円から500万円に増やしても、損益分岐となる事業所得は1,266万円のまま動きません(npm run calc:table -- breakeven --expenses 500)。両方の側から同じ額が引かれるからです。
差が出るのは、法人の側だけにかかる会社負担です。月給別の1人あたりの年額は次のとおりです。
| 従業員の月給 | 会社負担(1人・年) | 2人 | 4人 |
|---|---|---|---|
| 20万円 | 34.9万円 | 69.8万円 | 139.7万円 |
| 25万円 | 45.4万円 | 90.8万円 | 181.6万円 |
| 30万円 | 52.4万円 | 104.8万円 | 209.5万円 |
これを法人側の経費だけに足して、損益分岐点を探し直しました。
| 引き継ぐ従業員 | 月給20万円 | 月給25万円 | 月給30万円 |
|---|---|---|---|
| なし | 1,266万円 | 1,266万円 | 1,266万円 |
| 1人 | 1,477万円 | 1,540万円 | 1,582万円 |
| 2人 | 1,760万円 | 1,887万円 | 1,972万円 |
| 3人 | 1,972万円 | 2,113万円 | 2,188万円 |
| 4人 | 2,126万円 | 2,280万円 | 2,384万円 |
※ その他の経費200万円・東京23区・40歳未満・独身・青色申告(e-Tax)・インボイス登録済み・合同会社・3年目以降の定常状態/2026年(令和8年)分基準。従業員は全員40歳未満・賞与なし。個人事業所は社会保険の適用事業所でない(常時5人未満・任意適用なし)前提。法人側の経費に、従業員の健康保険(協会けんぽ東京支部)・厚生年金・子ども・子育て拠出金の会社負担を加えた。雇用保険・労災保険は個人でも同じためかからない差として除いた。事業所得は従業員の給与を引いた後、青色申告特別控除の前。当サイトで計算(scripts/houjinnari-jugyoin-hikitsugi.mjs)
月給25万円の従業員1人で、分岐点は274万円上がります。会社負担45.4万円に対して分岐点の移動が大きいのは、法人化の実質差額が、事業所得100万円あたり約9万〜14万円(1,500万〜2,500万円の範囲)のペースでしか増えないためです。
判定ツールの結果をどう読むか
判定ツールは、経費を個人と法人に同じ額で入れます。従業員の会社負担は含みません。同じ前提で、月給25万円の従業員1人を引き継ぐと、事業所得1,200万〜2,000万円では法人化の実質差額が年27.9万〜28.0万円、2,500万〜3,000万円では年24.1万円縮みました。会社負担45.4万円の5〜6割です。全額ではないのは、会社負担が法人の損金になり、法人税などが下がるためです。
ツールで出た差額から会社負担の全額を引けば、厳しめの見積もりになります。スタッフの人数ごとに差額が逆転する様子は美容室の法人化はスタッフの社会保険で決まる、1人を雇う会社の年間支出は一人社長がはじめて従業員を雇うとで計算しています。
会社負担は手取りだけで見ると重い費用です。ただし従業員の側では、国民健康保険・国民年金から、保険料を会社と折半する健康保険・厚生年金に移ります。将来の厚生年金や傷病手当金の対象にもなります。採用や定着への効果は、単年の差額には表れません。
まとめ
- 雇用契約は会社に自動では移らない。使用者の地位を譲るには従業員の承諾が要る(民法625条1項)
- 有給休暇の継続勤務は在籍期間を実質で判断する。新規採用として勤続年数をゼロに戻すと、この考え方と食い違う可能性がある
- 雇用保険は、同一事業主と認められれば変更届の扱いがある。喪失・取得になっても、1年以内の再取得なら算定基礎期間は通算される
- 社会保険の適用事業所でなかった個人事業では、法人成りで従業員の会社負担が新しく乗る。月給25万円の1人で損益分岐点は1,266万円から1,540万円に上がる
従業員がいる事業の法人化は、一般論の分岐点では判断できません。自分の売上と経費で判定したうえで、引き継ぐ人数分の会社負担を差し引いて確かめてください。
よくある質問
法人成りのときに、従業員の有給休暇の残りはどうなりますか。
個人事業から会社へ仕事も職場も変わらずに移るなら、労働関係が実質的に続いていると見られ、勤続年数と未消化の日数を引き継ぐ扱いが通達の考え方に沿います。厚生労働省は、形式上いったん退職しても実質的に労働関係が続いていれば通算するとしています。年休の請求権の時効は2年です。
従業員が会社への移籍を断ったらどうなりますか。
民法625条1項により、使用者は労働者の承諾なしに使用者の地位を第三者に譲れません。断られた場合、その人の雇用主は個人事業主のままです。個人事業を終えるなら、合意による退職か、解雇の手続き(少なくとも30日前の予告など)が別に必要になります。
法人成りで雇用保険の被保険者期間は途切れますか。
ハローワークで同一事業主と認められれば、事業主の変更として処理され、資格はそのまま続く扱いがあります。認められずに資格喪失・取得の手続きになっても、1年以内に再取得し、その間に基本手当を受けていなければ、算定基礎期間は通算されます。
出典
- e-Gov法令検索 民法 第625条(使用者の権利の譲渡の制限等)
- e-Gov法令検索 労働基準法 第15条(労働条件の明示)・第20条(解雇の予告)・第39条(年次有給休暇)・第115条(時効)
- 厚生労働省 スタートアップ労働条件 年次有給休暇はどのような場合に、何日与えなければならないのでしょうか
- 厚生労働省 モデル就業規則(令和7年12月版)
- e-Gov法令検索 雇用保険法 第22条(所定給付日数)
- e-Gov法令検索 雇用保険法施行規則 第6条・第7条・第141条・第142条
- 愛知労働局(ハローワーク) 同一事業主の取扱いに関する提出書類一覧
- 神奈川労働局(ハローワーク) 雇用保険適用事業所の廃止について
- e-Gov法令検索 労働保険の保険料の徴収等に関する法律 第4条の2・第15条・第19条
- 日本年金機構 新規適用の手続き
- 日本年金機構 適用事業所が廃止等により適用事業所に該当しなくなったときの手続き
- 日本年金機構 従業員を採用したときの手続き
- e-Gov法令検索 所得税法施行令 第69条(退職所得控除額に係る勤続年数の計算)
本記事は2026年(令和8年)分 基準の制度にもとづく一般的な解説であり、税務上の助言ではありません。 制度は毎年改正されます。実際の判断は最新の一次情報を確認のうえ、税理士等の専門家にご相談ください。 内容に誤りを見つけられた場合は お問い合わせ よりご指摘ください。