社会保険

36協定は一人社長に不要。従業員1人で変わる労基法の線

結論

役員だけの会社に36協定は必要ありません。労働基準法9条の労働者がいないためです。従業員を1人雇い、1日8時間・1週40時間を超えて働かせる日が出た時点で、36協定の締結と所轄労働基準監督署長への届出が必要になります。雇っても残業させないなら届出は不要です。上限は原則として月45時間・年360時間で、月45時間ずつ使うと8か月で年間の枠を使い切ります。

  • 法定労働時間は1日8時間・1週40時間。商業・保健衛生業・接客娯楽業などで常時10人未満の事業場だけ、特例として週44時間
  • 原則の上限は月45時間と年360時間の両方。月45時間を8か月使うと年360時間に達し、9か月目は特別条項がないと1時間も残業させられない
  • 月給25万円の従業員1人(残業なし)の年間人件費は347.7万円。法人化の分岐点は事業所得1,266万円のまま動かず、必要売上が1,466万円から1,814万円へ上がる

役員だけの会社に36協定が要らないのは、届出を免除されているからではありません。時間外労働を禁止している労働基準法32条が向いている相手が、そこにいないからです。

そのため、従業員を1人雇った瞬間ではなく、その従業員を法定労働時間を超えて働かせる段になって、はじめて36協定が必要になります。線はここに引かれています。

36協定は「上限を定める制度」ではなく「禁止を解除する制度」

労働基準法32条は、使用者が労働者を1週間について40時間を超えて働かせてはならない、1日については8時間を超えて働かせてはならないと定めています。これが法定労働時間です。

この禁止を解除するのが36条で、次の2つが揃ったときに限って、協定で定めた範囲で労働時間を延長できます。

  • 事業場の過半数労働組合、ない場合は労働者の過半数を代表する者との書面による協定
  • 所轄労働基準監督署長への届出

順序が逆に理解されていることが多いのですが、36協定は残業時間に上限を設ける書類ではありません。原則は禁止で、協定と届出がその禁止を外す仕組みです。だから届け出ないまま残業させた場合、時間の長短にかかわらず32条違反になります。1時間でも同じです。

役員がこの枠組みの外にいるのは、32条が「労働者」を対象にしているからです。代表取締役や合同会社の業務執行社員は労働基準法9条の労働者に当たらないため、何時間働いても32条の問題は起きません。この点は役員報酬に最低賃金は適用されるかで整理しています。ただし役員全員が枠外になるわけではなく、代表権も業務執行権もない取締役は労働者とされる余地があります(名ばかり役員は労働者か)。

従業員を雇っても、残業させないなら届出義務はない

「人を雇ったら36協定」と説明されることがありますが、条文はそうなっていません。義務が生じるのは、法定労働時間を超えて働かせる場合と、法定休日(週1日または4週を通じて4日)に働かせる場合です。

1日7時間・週35時間の契約で、実際にその範囲で収まっているなら、36協定は不要です。労働者名簿や賃金台帳のような記録の義務は雇った時点から生じますが、こちらは36協定とは別の話です。

とはいえ、実務では先に届け出ておくほうが安全です。繁忙期に1日だけ9時間働いてもらった、という事実が後から出てくると、その日は協定なしの時間外労働になります。協定を結んでから届け出るまでに手続きの時間もかかります。

業種と人数によっては、週44時間が法定労働時間になる

1週40時間には特例があります。厚生労働省は、次の業種で常時使用する労働者が10人未満の事業場について、週の法定労働時間を44時間としています。

特例の対象になる事業常時使用する労働者週の法定労働時間
商業10人未満44時間
映画・演劇業(映画製作の事業を除く)10人未満44時間
保健衛生業10人未満44時間
接客娯楽業10人未満44時間
上記以外、または10人以上−40時間

一人社長が従業員を1人雇う規模は、業種が当てはまればこの特例の範囲に入ります。ただし緩むのは週の上限だけで、1日8時間は変わりません。週44時間のうちに収めても、1日9時間働いた日があればその日は時間外労働です。

原則の上限は月45時間と年360時間。両方が同時にかかる

2019年の改正で、それまで大臣告示にとどまっていた上限が、罰則付きで法律に書かれました。大企業は2019年4月から、中小企業は2020年4月から適用されています。

原則の上限は月45時間・年360時間です。この2つは選択ではなく、両方を同時に満たす必要があります。ここに見落としが生まれます。

月45時間ずつ使うと、8か月で年360時間に達します。 9か月目以降は、特別条項がなければ1時間も残業させられません。月単位の45時間だけを見て協定を結ぶと、年度の後半で枠が尽きます。

臨時的な特別の事情があって労使が合意した場合(特別条項)の上限は次のとおりです。

項目上限
時間外労働年720時間以内
時間外労働+休日労働月100時間未満
時間外労働+休日労働の2〜6か月平均1か月あたり80時間以内
時間外労働が月45時間を超えられる回数年6か月まで

月100時間未満と2〜6か月平均80時間以内は、特別条項の有無にかかわらず常にかかります。時間外44時間・休日労働56時間のように、それぞれが限度時間内でも合計が月100時間以上になれば違反です。

違反した場合の罰則は、労働基準法119条で6か月以下の拘禁刑または30万円以下の罰金と定められています。

費用の側では、割増率の段差も効きます。時間外労働の割増賃金は2割5分以上ですが、37条1項ただし書により1か月60時間を超えた部分は5割以上になります。中小企業への適用猶予は令和5年4月1日に廃止されており、従業員1人の会社でも同じです。

従業員が1人だけの会社では、その1人が過半数代表者になる

協定を結ぶ相手は、過半数労働組合がなければ「労働者の過半数を代表する者」です。従業員が1人なら、その1人が過半数代表者になります。社長や役員が労働者側として署名することはできません。

問題は選び方です。労働基準法施行規則6条の2は、過半数代表者が次のどちらにも当たる者だと定めています。

  1. 労働基準法41条2号の管理監督者でないこと
  2. 協定をする者を選出することを明らかにして実施される投票、挙手等の方法による手続により選出された者であって、使用者の意向に基づき選出されたものでないこと

厚生労働省は、2の「投票、挙手等」の「等」について、労働者の話合いや持ち回り決議など、労働者の過半数が選任を支持していることが明確になる民主的な手続が該当するとしています(平成11年3月31日基発169号)。

従業員が1人の会社でつまずくのはここです。社長が「君が代表者ね」と指名して署名をもらう形は、2の後半に反します。対象者が1人であっても、36協定を結ぶ代表者を選ぶという目的を示したうえで、本人の意思で選出された記録を残す必要があります。

あわせて、過半数代表者になったことを理由とする不利益取扱いの禁止(同条3項)と、協定事務を円滑に進められるようにする配慮義務(同条4項)も使用者側にかかります。

届出は原則の範囲なら様式第9号、特別条項を付けるなら様式第9号の2を所轄労働基準監督署長に提出します。電子申請でも届け出られます。

残業の枠をどこまで使う前提にするかで、必要売上が151万円動く

ここまでが義務の話です。では、残業を見込むと法人化の判断はどう動くのか。月給25万円の従業員を1人雇う前提で、当サイトの計算エンジンに通しました。

残業代の単価は、法定労働時間(週40時間)から1か月平均所定労働時間173.81時間を求め、時間単価1,438円に割増率を掛けています。月60時間までが1,798円、60時間を超えた部分が2,158円です。

固定残業代として月給に組み込む形でも、割増賃金の総額が足りなければ差額の支払いが必要です。その場合は基本給部分が最低賃金を満たすかも別にかかります(固定残業代込み月給25万円は最低賃金割れ?)。

年間の時間外労働残業代(年)会社負担の社保・労働保険法人の年間人件費分岐点となる事業所得分岐点に届くのに必要な売上
従業員を雇わない(役員のみ)−−0.0万円1,266万円1,466万円
残業なし0.0万円47.7万円347.7万円1,266万円1,814万円
年360時間(原則の上限・月45時間×8か月)64.7万円55.3万円420.0万円1,266万円1,886万円
年540時間(月45時間×12か月)97.1万円62.5万円459.6万円1,266万円1,926万円
年720時間(特別条項の上限)132.7万円66.3万円499.0万円1,266万円1,965万円

※ 東京・40歳未満・賞与なし・労災は「その他の各種事業」/所定労働時間は法定労働時間と同じとした/経費は役員のみのとき200万円で、そこに人件費を足した額/合同会社・独身・青色申告(e-Tax)・インボイス登録済み/2026年(令和8年)分基準 ※ 「事業所得」は売上から経費を引いた額で、青色申告特別控除を引く前の金額 ※ 年540時間は年360時間を超えるため特別条項が必要。年720時間は月45時間×6か月+月75時間×6か月で置いた(月45時間超は年6か月までのため) ※ 社会保険料は年間の給与を12で割った平均報酬月額で計算した。実際は定時決定と随時改定で等級が動く

目を引くのは、分岐点となる事業所得が1,266万円で動かないことです。人件費を347.7万円から499.0万円まで乗せても、1円も変わりません。

条件別の損益分岐点を、経費620万円(従業員1人・年360時間の残業を見込んだ状態)で出し直しても同じです。

条件損益分岐となる事業所得
基本(独身・インボイス登録済み)1,266万円
株式会社で設立1,266万円
配偶者あり(無収入)1,016万円
配偶者あり+扶養1人1,066万円
インボイス未登録1,266万円
40〜64歳(介護保険あり)1,243万円
大阪市1,283万円
名古屋市1,270万円
白色申告793万円

※ 経費620万円・東京23区(特別区統一保険料率)・40歳未満・独身・青色申告(e-Tax)・インボイス登録済み・合同会社/2026年(令和8年)分基準 ※ 表示した条件以外は基本条件と同じ。実質差額がプラスに転じる事業所得 ※ いずれも3年目以降の定常状態。設立1〜2期の消費税免税(インボイス未登録の場合のみ)は含まない

経費200万円で出した表と、9条件すべてが一致します。理由は単純で、人件費は個人事業でも法人でも同じだけ経費になり、インボイス登録済みなら消費税の扱いも両者で変わらないためです。計算の仕組みは計算の前提にまとめています。

つまり「人を雇うことになったから法人化」という順序では決まりません。動くのは分岐点そのものではなく、その所得に届くために必要な売上です。役員だけなら1,466万円、残業を特別条項の上限まで使う前提なら1,965万円。残業の枠をどこまで見込むかだけで、必要売上が151万円ぶれます。

人を雇う費用の内訳そのものは一人社長が初めて従業員を雇う費用で月給別に計算しています。

36協定と前後して出てくる義務

従業員を1人雇った時点で発生するもの、人数が増えてから発生するものが混ざっています。

  • 労働者名簿・賃金台帳・出勤簿:労働基準法109条は労働者名簿、賃金台帳その他労働関係に関する重要な書類の保存期間を5年間としていますが、附則143条により当分の間は3年間です(法定三帳簿は一人会社に必要?)
  • 就業規則:作成・届出の義務は常時10人以上の労働者を使用する場合(89条)。従業員1人なら義務はありません。同じ「10人」でも、週44時間の特例は10人未満が条件で、就業規則は10人以上が条件です(就業規則は10人未満なら不要?)
  • 年5日の年次有給休暇の時季指定:年10日以上の年次有給休暇が付与される労働者について、使用者が時季を指定して5日取得させる義務(39条7項)。違反は120条で30万円以下の罰金(年5日の有給取得義務は従業員1人の会社にも?)
  • 労働保険の成立手続:労災保険は労働者を1人でも雇えば原則として強制適用です

なお、同居の親族のみを使用する事業には労働基準法が適用されません(116条2項)。同居の配偶者を雇う場合の労災・雇用保険の扱いは配偶者だけを雇う一人会社の労災・雇用保険で整理しています。

まとめ

  • 36協定は残業の上限を定める書類ではなく、32条の禁止を外す手続き。届け出ないまま残業させれば1時間でも32条違反になる
  • 役員だけの会社に不要なのは、32条の対象である労働基準法9条の労働者がいないため。従業員を雇っても、残業も休日労働もさせないなら届出義務は生じない
  • 原則の上限は月45時間と年360時間の両方。月45時間ずつ使うと8か月で年間の枠が尽きる
  • 従業員が1人の会社でも、その1人を社長が指名する形では施行規則6条の2の要件を満たさない
  • 人件費を乗せても法人化の分岐点となる事業所得は1,266万円のまま動かない。動くのは必要売上で、残業の見込み方だけで151万円の幅が出る

一般論の人件費ではなく、自分の売上と、実際に見込む残業時間で確かめてみてください。

よくある質問

従業員を雇ったら、残業させる予定がなくても36協定を届け出るべきですか?

法律上の義務は、法定労働時間を超えて働かせる場合または法定休日に働かせる場合に生じます。残業も休日労働もさせないなら届出義務はありません。ただし繁忙期に1日でも8時間を超えると、その時点で協定と届出がないまま働かせたことになります。

36協定は毎年出し直す必要がありますか?

36協定には対象期間を1年に限って定めるため、期間が切れれば効力が切れます。期間満了後も時間外労働をさせるなら、改めて協定を結び直して届け出ることになります。

従業員が1人の会社では、社長が過半数代表者を兼ねられますか?

兼ねられません。協定は使用者と労働者側の代表との間で結ぶもので、代表者は事業場の労働者から選ばれます。従業員が1人ならその1人が過半数代表者になります。

36協定の上限を超えた場合、どのような罰則がありますか?

労働基準法32条や36条6項に違反した場合、同法119条により6か月以下の拘禁刑または30万円以下の罰金が定められています。対象になるのは労働者ではなく使用者の側です。

出典

本記事は2026年(令和8年)分 基準の制度にもとづく一般的な解説であり、税務上の助言ではありません。 制度は毎年改正されます。実際の判断は最新の一次情報を確認のうえ、税理士等の専門家にご相談ください。 内容に誤りを見つけられた場合は お問い合わせ よりご指摘ください。